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京都議定書が発効して一年が経ちました。しかし、数値目標が低いにもかかわらず、その達成さえ危ぶまれています。私たちは今、どうこの問題を捉え、取り組むべきなのか、議定書発効一年に際して考えてみたいと思います。
ニュースレター2006年2月号No.153より抜粋
京都議定書達成には、日本の社会システムの根源的変革が不可欠
環境市民 代表理事 すぎ本 育生
日本が京都議定書で約束した温室効果ガス削減の達成がほぼ不可能になってしまっている。国民のライフスタイルが変わらないことがその主な要因の一つとして喧伝されている。確かにライフスタイルを変革することは重要であるが、日本が京都議定書の約束を果たせないほんとうの原因はそこにあるのではない。自転車を利用しようとしても、安全かつ便利に使える道路、街にはなっていない。再使用容器入りの飲料を買おうと思っても、ほとんどが使い捨て容器入りのものしか販売されていない。このように、多くの人々が難しくなくライフスタイルを変える社会的仕組みが欠如しているのである。
温室効果ガスを削減できない主な原因は日本の社会問題であり、次のようなことが考えられる。地球温暖化防止に限ったことではないが、日本の政策はビジョンと戦略を欠いていること。多くの施策が対症療法的なもので根源的なアプローチがないこと。企業の環境活動も、環境対応型商品の開発・販売や個別活動にとどまり社会システムを変えていく考えには至っていないこと。NGOがそのような政策決定や企業の社会的責任(CSR)活動に大きな影響力を発揮できない社会システムになっていること、などである。
それでは、なぜこのような社会になっているのか、いくつも要因が考えられるがここでは日本の政治システム、特に中央省庁の縦割り支配の問題を考えてみよう。環境省は、本来なら地球温暖化防止政策を統合し戦略化していく政策を実現する責務を負っているが、現実には機能していない。温室効果ガス急上昇の運輸部門は国土交通省、最大の排出元である産業部門は経済産業省の牙城であり、環境省はほとんど手をつけられない。だからこそ「こまめちゃん」や「クールビズ」といったような地域の自発的活動に任せた方がいいものが環境省の仕事になっている。
国交省や経産省なども、多少の温暖化防止施策を実施してはいるが、自らのテリトリーとする産業界の(長期的視野を欠いた)利益を損なうと恐れる施策は出てこない。これでは、エコカーの開発には勤しめても、ドイツなどの諸都市で実施されている公共交通や自転車を優先する交通システムや都市計画の切り替えといった抜本的な政策転換*は期待できない。
また、環境税も同様の理由でなかなか実現できない。ドイツの環境税は、電力税、車両用燃料税、暖房用燃料税からなる。90年から98年の間に各々6%、11%増加した一般家庭、及び運輸のCO2の削減を主な目的として当初4年間の時限的措置として導入された。経済界が歓迎していない状況は日本と同じであるが、2000年から2003年の4年間に579億ユーロ(約8兆1千億円)が環境税として集められた。その大きな使途として年金保険料率の低減が図られことにより、年金制度安定と6万人の新規雇用を生んだと考察されている。CO2の削減にも、もちろん大きな効果を生んでいる。
環境税の一部は再生可能エネルギーの普及にも用いられ、太陽光発電装置の年間設置容量も、ダントツの1位であった日本を上回った。一方日本は、来年度から太陽光発電への政府(新エネ財団)補助を打ち切る。
持続可能な社会を築くために必要な、環境、経済、社会的公正の全てを良好にしていく必要があるという命題に対して、このように縦割り行政支配は対応できていないどころか、大きな弊害になっている。二大政党にその改革を期待するのは無理であろう。
では、どうすればいいのだろうか。ここで、かつての公害に対する自治体や住民の活動が、国の政策を大転換させたことを想起したい。私たちが実施している『日本の環境首都コンテスト』で明らかになってきているように、自治体の中には従来の縦割り行政の超克、住民参画のシステム化と保障、様々なユニークな施策を実施しているところがある。また家電製品の「省エネラベル協議会」のように協働の市民活動が急速に全国的展開をみせ、経産省の環境性ラベルに大きな影響を与えようとしているものもある。
このようなNGO、市民が参画し地域社会を変えていくことが、閉塞した日本社会システムを変革することにつながるのでないか。全ての自治体を変える必要はない。日本のいくつかの自治体・地域社会の変革に成功することが、大きな力を発揮するだろう。環境NGOはその変革の一つの担い手になりうるし、ならなければ存在価値が疑われる。
*路面電車のない人口規模の小さい自治体でも実施されている。その事例として例えば筆者が部分執筆した『世界の環境都市を行く』(岩波ジュニア新書)のエッカーンフェルデ市の取組みがある。
地球温暖化防止と環境経済戦略
環境市民 理事 京都大学大学院経済学研究科及び地球環境学堂教授 植田 和弘
地球温暖化防止のための京都議定書が2005年2月16日に発効した。
このことは、今後のわが国の地球温暖化防止戦略にとって重大な意味を持っている。2010年における温室効果ガス排出量を1990年レベルよりも6%削減する必要があるが、現状では7%以上増加しているので、かなり大幅な削減を急速に行うことが求められている。政府の京都議定書目標達成計画では、森林吸収源の整備や排出権クレジットの購入なども想定されているが、それでも日本国内の多くの地域で大幅な温室効果ガスの削減に取り組まなければならないことは確かである。ここであえて戦略という用語を用いたのは、地球温暖化防止は単に対策を講じれば達成できるというものではなく、ビジョンと具体的シナリオをもった戦略的思考なくしては、実現できないと考えるからである。
結論を一言でいえば、地球温暖化防止を単なる温室効果ガスの削減問題として取り組むことでは成功しない。交通政策やエネルギー政策とはもちろんのこと、産業政策、さらには地域経済の活性化とも結びつけて、地域づくりそのものとして統合的に取り組む戦略的思考が求められている。脱自動車の都市モデルとして有名なフライブルクの例もこの観点から見直してみるとその先駆性が一層よく理解できる。
フライブルクでは、自動車中心の交通体系から路面電車を核にした交通システムへの転換が図られた。都市の中心部は自動車の乗り入れが禁止されており、パーク・アンド・ライド方式なので郊外から車で来ても、途中で駐車し中心部へはすべて路面電車に乗り換えることになる。路面電車の利便性は高く、市民全体のモビリティは増大しているにもかかわらず、自動車利用は増えていない。
フライブルクの試みは過剰な自動車利用がもたらす交通渋滞や大気汚染を減らすという意味で交通政策、かつ環境政策である。しかしそれだけでなく高齢者福祉政策、そして商店街活性化策を統合した多面的価値を総合的に追求したまちづくりになっているところに特色があり、それが成功の秘訣でもある。低床式路面電車はそのわかりやすさや乗降のしやすさからいっても高齢者の移動を容易にする福祉のまちづくりにふさわしい乗り物であり、その意味で福祉政策の一環でもある。
興味深いことは、路面電車中心の交通体系は商店街活性化策としても機能したことである。一般に、ヨーロッパの都市においては文化的な施設やそこで行われる文化的イベントなどが、まちの賑わいや交流の場にもなっている。自動車中心のまちづくりは、駐車場によって公共空間を減らし行動を個別化させることで、そういう社交の場、一種の公共文化を衰退させがちである。フライブルグでは脱自動車で歩きやすいまちになったことで、人々が都心や商店街に滞留する時間が増加し、商店街の賑わいが回復するとともに売り上げも増えたのである。商店街の衰退に悩む日本の都市にとって示唆的である。
フライブルクにおける環境を基軸にすえた都市・地域づくりは、環境改善の投資を促し生活の質を向上させつつ、それに関連して雇用も増加させることになった。このような都市・地域づくりが可能になった背景の1つは、市民主体の環境運動が単なる運動だけにとどまるのではなく、課題の理論化や政策化が図られたことである。専門家の支援を受けつつ市民主体の研究所が設立されることにもなった。持続可能な地域社会づくりは市民の積極的な参加がなくてはならないが、そのために必要になる知識・情報基盤を行政が提供するだけではなく、市民自身の中からもつくりだされるようになることは、知識・情報基盤の強化やそれに基づくコミュニケーションの活発化が促されるなどガバナンス構造も変化させるであろう。
地球温暖化防止をものづくりや暮らしの新しい様式をつくりだす挑戦的課題として、さらにそのための仕事起こしや雇用を通じた地域経済の創造性や持続性を高める機会としていくことが求められている。地域から持続可能な社会を構築する取り組みに組み入れられたときにはじめて、地域における地球温暖化防止は急速に進展するであろう。
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