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2003年4月3日記す
環境市民 事務局長 堀 孝弘
比較するのも変だけど、
独裁者が居て、自由にものが言えない国と、
外国の兵隊がいきなりドアを蹴破り侵入し、
銃をつきつけ尋問する国と、どちらがましなのだろうか。
前者もかなりイヤだけど、後者はなんともおそろしい。
それでもし、無理にでも支給された銃が家の中にあったなら、
言葉が通じず弁解できず、後手に縛られるか、
その場で射殺されるのだろうか。
誤爆誤射で子を亡くした親は、
「これも自由のため」とあきらめるしかないのだろうか。
10年、15年期待と夢をもって育て過ごした日々を、
ただ忘れるしかないのだろうか。
死んでしまった子は、「未来のよりよい国のため」を
信じることができるだろうか。
独裁が続くなら、どうせ自分には自由はなかったと、
納得するしかないのだろうか。
もし宇宙から、全能の神、真理の具現者でもあらわれて、
この星で最も危険な武器を持っている国の武装解除を求めたら、
追求されるのはどの国だろう。
“その国”は素直に大量破壊兵器を差し出すだろうか。
ふりかえれば“その国”は、独裁者の好きな国ではなかったか。
古くは韓国の李ショウバン、南ベトナムのグェン・バン・チュー、
キューバのバチスタ、フィリピンのマルコス、チリのピノチェト…。
イラクの独裁者だって昔は応援していたのではなかったか。
これらは“正義”を看板にかかげる“その国”に支えられ、
圧制と腐敗をくりひろげた折り紙つきの政権たち。
イラクに与えられる自由とはそのようなものだろうか。
それは、イラクの人たちが求め、望んでいるものだろうか。
いつしか我々は誤爆誤射で亡くなる人たちを、
アメリカ人の十数分の1の軽さで見ていないか。
彼らの命の尊さは、アメリカ人のそれと実は同じ。
家族の悲しさも、家族が描いた夢・期待・愛情も同じ。
そして恨みも憎しみも、やはり同じ。
納得もあきらめもできない人々は、
自暴自棄な戦いへと駆り立てられる。
そしておそろしいテロの嵐が吹き荒れる。
もうええやん。ええ加減にしよ。
いきなり引っ込めたらメンツが立たんのか。
ならば、その場にじっと居座って。
独裁者の体面つぶして終わりにしよ。
後は世界にまかせてよ。
世界もそんなにバカじゃない。
世界の人が声をあげている。
世界の人が気づいている。
戦争ではやっぱり解決しない。
戦争は誰も幸福にしない。
戦争は自由を生み出さない。
戦争は憎しみしか生み出さない。
もう、1人でも死んでほしくない。
アメリカ人も、イラク人も。
もうやめるしかない。今しかない。
Now or Never
環境市民・事務局長 堀 孝弘
ベトナム戦争の中で育った世代、
We shall over come.
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