報告:公共ってなんだろう? ドイツの歴史から学ぶ 8/26 | 認定NPO法人 環境市民

報告:公共ってなんだろう? ドイツの歴史から学ぶ 8/26

8月26日、ハートピア京都(京都市中京区)にてドイツのエアランゲン市在住のジャーナリスト高松平藏さんをお招きして「社会運動から政治へ~ドイツの環境小史から考える『公共』」というセミナーを開催しました。

2010年9月19日

「68世代」の社会運動が発端

8月26日、ハートピア京都(京都市中京区)にて「社会運動から政治へ~ドイツの環境小史から考える『公共』」というセミナーが開催されました(主催:NPO法人 環境カウンセラーズ京都・京都府グリーンベンチャー研究交流会・環境市民 後援:京都府グリーン購入ネットワーク)。

ドイツが「環境先進国」になったのは社会運動が発端です。ドイツで「68世代」(1968年当時学生だった世代)といわれる世代が始めた社会運動は、環境問題を「公の課題」におしあげ、政治を動かしました。よく知られる「緑の党」は社会運動が政党にまで発展したものです。
一方、日本の社会運動は政党にまでもっていくことはできていません。今回は、ドイツのエアランゲン市在住のジャーナリスト高松平藏さん(右上写真)をお招きしてお話を伺いました。観客は30人ほどでした。

郷土愛からはじまったエコロジー

エコロジーはもともと郷土愛など保守層に気に入られていた考え方で、戦争中はナチスにも利用されていたのに、左側の思想にどのようにして移行したのかという問いかけで話がはじまりました。高松さんによると、社会運動の発端は1969年。ブラント首相が「もっと民主主義に」という方針をたて、これに共鳴した68世代が、「みんなで合意を得て進めていこう」という運動をはじめたことによります。

次のシュミット首相は原発を推進していましたが、ブラント派が反対し、バーテンブーテンブルクという村の原発建設工事がデモ活動によって中止に。この成功例から、反原発、エコロジーは民主制を動かす力があるという発想が生まれたそうです。各地の動きは、各州での政党化、最終的には1980年に緑の党の結成へとつながりました。

ジーンズとひげの政治家

「個人の問題が、政治の問題になる過程で、68世代が起こした社会運動が大きな役割を担った」と高松さん。1983年はじめて議席をとったときはジーンズや長く伸びたひげで登場しまわりを驚かせました。ともあれ女性の社会進出、住民投票、死刑廃止、外国人・同性愛者のマイノリティの権利拡大、環境意識、社会の雰囲気の変化など68世代がさまざまな影響を与えてきたことを紹介しました。

パラソルの下で選挙活動

上半身裸の男性の上に女性が偉そうに座っているような写真を使用した女性の権利を主張するポスター、わざと文法的におかしな言葉の羅列を用いた子どもの権利を主張するポスターなど、緑の党のおもしろいポスターの紹介もありました。日本とは違い、ドイツの選挙活動は、まちの
広場にパラソルを出して、気軽に市民と議論しながらやったり、政治家がジーンズやひげで写真に写ったりと、気さくな雰囲気。社会運動からはじまった政党ですが、ポスターや選挙活動などは楽しい雰囲気で展開しているそうです。

自由時間の少なさが公共を未熟に

最後に、ドイツの公共の捉え方について「国家が個人や企業のプライベートな空間をコントロールしようとするのに対して、公共は間に入って歯止めとなるような三層構造になっている。(右写真、高松平藏氏作図)三層構造のまん中にある『公共』は、参加と議論が自由にでき、自治の決定ができるという性質がある」と説明されました。
その公共の部分がほとんどなく、国家とプライベートの空間の二層構造のような形になっているのが日本。

高松さんは、その原因の一つとしてドイツと日本の、NPO法の歴史の長さの違いを挙げられました。また、ドイツに比べ日本は可処分時間(自由に使える時間)が少なく、ボランティアなどに参加しづらいことも、公共の部分が未熟な原因ではないかと指摘。

その後、質疑応答の時間で活発な意見交換が行われました。ドイツと日本の公共の違いや、ドイツの学生の社会運動や環境活動などへの熱気の変化、ドイツの地方議会の違いなど、他ではなかなか聞かれない議論も飛び交いました。今後、日本が公共を築いていくためのヒントを得た講演でした。

(文/ニュースレター編集部 村田 諒平)