海は誰のもの、国家は誰がためのもの | 認定NPO法人 環境市民

海は誰のもの、国家は誰がためのもの

このコーナーでは、ウェブやメールマガジンの企画運営を行っている「電子かわら版チーム」メンバーのコラムを紹介しています。一緒に企画運営をしたいボランティアも随時募集中です。関心のある方は京都事務局まで。

高校時代、お父さんが海上保安庁に勤めている友人がいた。
大切な仕事をしているのだと、なんとなく誇らしげだった。
そういう仕事があるのだと、そのとき初めて知った。
海辺に住んでいるわけでもなく、まったく身近ではない存在
だから、卒業して友人と別れるとその存在のことはすっかり
忘れていた。

次に私が海上保安庁という名前に接したのは、海上保安庁が
非暴力の市民への弾圧を行っているという報せだった。
沖縄の辺野古沖でのことだ。

まちなかにある危険な普天間基地を閉鎖するために、代替
施設として新たな米軍基地を辺野古につくる必要があると
日本政府が言い出してから、地元の人による海を守るための
取り組みがずっと続けられている。
現場では防衛施設局と市民とが対峙し、これまでにも何度も
緊迫した状況があった。そのたびに顔を出すのが海上保安庁
だ。海の安全を守るという名目で出動しては、基地の建設を
非暴力で止めようとする市民の排除を行っている。

9月9日、カヌーで抗議に出た市民が海上保安官に取り押さえ
られて恫喝と暴行を受け、頭部に全治2週間の捻挫を負った。
証拠となる動画がインターネット上に投稿されている。
現地ではこれまでに少なくとも3人が怪我をしているという。
これらの問題について、海上保安庁は報道機関の取材にも
応じない姿勢でいる。

国家権力に逆らう市民を暴力を用いて排除するというなら、
海上保安庁とはいったい何のための組織なのだろうか。
その守るものは海の安全ではなく、国体なのだろうか。

新基地建設反対のための現地座り込みは、3800日を超えた。
なぜ、そんなにも長い間、頑張れるのか。頑張らなければ
ならないのか。
なぜ、国家権力はそれを力ずくで押さえつけようとするのか。
なぜ、この問題は沖縄以外で報道されないのか。

知らないふりをすることは、沖縄への暴力に荷担することだ。
私たちは、本当のことを、知らなければならない。
(げの字)

琉球新報「海保の暴力表面化 押さえ付け脅し、けが人も」
IWJ_okinawa1(座り込み現場のライブ中継)