猛暑に教育と気候正義を考える | 認定NPO法人 環境市民

猛暑に教育と気候正義を考える

このコーナーでは、ウェブやメールマガジンの企画運営を行っている「電子かわら版チーム」メンバーのコラムを紹介しています。一緒に企画運営をしたいボランティアも随時募集中です。関心のある方は京都事務局まで。

愛知県で小学校1年生の子どもが、
学校の授業での野外活動後に熱中症で亡くなるという、
なんとも痛ましい事故がありました。
他地域でも熱中症で子どもが搬送されたニュースが続きました。

気象庁の調べによると、京都では100年前に比べ、
夏場の平均気温は2.3℃上がっているとのこと。
もはや私たちが知っていた子どもの頃とは環境が変わっていると認識すべきでしょう。

その後、この学校に限らず、
学校という場はかなり特異な環境であることが明らかになってきました。
体育や校外活動、部活等は熱中症の危険が高いと予報されている時でも続行されていること、
教室や体育館にエアコンが設置されていても
電気代の節約のため使用が禁止されている場合があること、
生徒は先生の指示や許可がある場合を除いて水分を摂ることが許されていないこと、
水筒の中にお茶以外にスポーツドリンク等を入れてはならないなど。
「前からずっとこうだったから」というだけで、合理的な理由があるとは思えず、
子どもの命や人権を守るという観点で非合理であると言わざるを得ません。
急ぎ改革されることを望みます。

さて、こういった事情に対し、
学校ではクーラーを効かせるべきという巷の主張が強くなってきました。
人命を守るために我慢せずクーラーをとか、快適な気温の確保は人権だとか、
学習効率を上げるためにも大事だとか言われると、
どれもごもっともなので反論はしがたいのですが、
暑さなど我慢しても何の役にも立たないだの、根性論はやめろだの言われると、
ちょっと待って、と言いたくもなります。

私の親は、冷暖房のほとんどない暮らしを選択することで、
恵まれた時代に生まれた子どもに、我慢を覚えさせようとしました。
身の回りの気温がボタン一つで自分に合うように改変できる環境で育った子どもに比べ、
暑さから逃れるには自分の知恵を最大限に使って工夫することを覚えた私は、
辛抱強く、また人生における様々なマイナスの要素を上手に受け流す
コツを身につけることができたと感じています。
根性論もたしかに役立っているのです。

クーラーは使えば使うほど、廃熱で部屋の外は暑くなります。
エネルギー消費によりCO2排出が増えるため、地球温暖化も進みます。
こんなことは何十年も前から科学が警告していました。

このような冷暖房のエネルギー消費を抑えるため、ドイツや北欧では政策的に、
建物の断熱性能を高める努力がされ、
また化石燃料から再生可能エネルギーへのシフトが進みました。
ひるがえって日本は、有意な政策をうたず、温暖化防止の行動を個人の良心に任せてきました。
そうやって長い年月を無駄にしてきた結果が現在のこの気象です。
幼少時からエアコンを当たり前に暮らした人に、
「気候正義*」の考えが胸に響くことはあるのでしょうか。
響いたとしても、どうしようもないとあきらめるようにならないでしょうか。
子どものためにクーラーを効かせろという主張は、
現代の子どもの学習環境さえ改善すればいいのか、
それで子どもは幸せになれるのか、将来世代は守れるのか、と思えてなりません。
このご時世、言いにくいことになってしまったけれど。

昔とは違うのだから、気温の高すぎるときは、学校だけでなく、
会社も、お店も、役所も、いっそ休みにしてしまえばいいのにと思います。
生産効率の落ちる時節に、クーラーを入れてまで勉学や仕事に励むのは無駄。
すっきり休んで、季節のいい時にそのぶん集中した方が、よい効果が上がるのでは、
と私は考えるのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか。
(げの字)

*気候正義とは、気候変動を引き起こす地球温暖化の原因を作ったのはエネルギーを多消費してきた先進国であるのに対し、その影響を強く受けるのは発展途上国の人たちであるという事実を国際的な人権問題として捉え、地球温暖化を止めてこの不正義を正すべきとする考え方。