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芸術は社会に必要とされているのか?

カテゴリ:電子かわら版コラム|更新日:2020年7月8日

このコーナーでは、ウェブやメールマガジンの企画運営を行っている「電子かわら版チーム」メンバーのコラムを紹介しています。一緒に企画運営をしたいボランティアも随時募集中です。関心のある方は京都事務局まで。

先日、あるバイオリニストと知り合いました。


その方は、もう数カ月も舞台から遠ざかってしまい、
自宅とその周辺で過ごすことが多いそうですが、
毎日、練習は続けておられます。
最近は、音楽家の中で流行っているテレワーク演奏にも挑戦されていますが、
実際に同じ舞台で演奏するのとは勝手が違うので、
なかなか満足できないようです。
それでも、こうした演奏によって、
少しでもクラシック音楽に興味を持ってくれる人が増えれば嬉しい、
とのことです。


そう聞くと、いつか開催されるであろう本物の演奏会を見据えた、
意思の強い方だと思えますが、
「音楽は社会に必要とされているのか?」
と不安になるときがあるようです。


大きな災害の後や不況のとき、この心配は、
多くの芸術家が感じられることと思います。
確かに、芸術がなくても、生命の維持に問題があるわけではありません。
今日の食事に困るような状況では、
芸術のためにお金を払う人はほとんどいないでしょう。


しかし、文字を持たない時代にもヒトは洞窟に絵を残しましたし、
戦後の混乱期でも、歌が生まれました。
ヒトには、なんとかして気持ちを表現し、
他人とつながりたいという欲求があるようです。


そういう感情がある限り、仕事として成り立つかどうかは別ですが、
芸術は社会に必要とされていると言えます。


私の場合は、墨を磨ると、その香りだけで書作品の想像が膨らみますし、
字を書いているときはただただ墨色や造形などの美しさに没頭します。
創作活動をしない方でも、家にいる時間が長くなっている昨今、
文学や音楽などに癒されたり、励まされた方は少なくないと思います。


社会全体に余裕がなくても、芸術をしっかりと守ることは、
一人一人のまっすぐな気持ちを守ることにつながるのではないでしょうか。


一方、芸術家にとっては、
昨年までと同じような発表の機会を得ることは難しいため、
伝えたいことをしっかりと考え、表現を工夫する必要があります。
そのような努力の中から、
感動を分かち合える新たな芸術が生まれることを期待します。
(くらげ)


<執筆者紹介>
ペンネーム:くらげ
小さい頃から、曲線に心惹かれています。海も空も曲線が美しい。
曲線が持つ無限のバリエーションはすばらしく、変化する様子を見るのは飽きません。
曲線への興味を通じて、気候について勉強したような気がします。
いつまでも、きれいな曲線を残したい。

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